長崎港から約19キロ。何度もテレビで見た軍艦島が、こんなにも生々しい存在感を放っているとは思わなかった。
乗船前夜、ホテルの部屋でスマホの画面を睨みながら、明日の天気を何度も確認していた。軍艦島は上陸できない日も多いと聞いていたから、期待と不安が半々だった。朝7時、カーテンを開けると、港には穏やかな光が差し込んでいた。波は思ったより静かだ。これなら、行けるかもしれない。
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船に揺られて
チケットカウンターには既に30人ほどの列ができていた。外国人観光客、カメラを下げた写真愛好家、年配のご夫婦。廃墟ブームで注目を集めているとはいえ、これほど多様な人が集まっているのを見ると、この島が持つ吸引力の大きさを実感する。
船内に入ると、ガイドさんが軽い口調で注意事項を説明し始めた。上陸できるのは島のごく一部だけ、定められた見学路以外には入れない、荒天時は寄港できない場合もある。当たり前の内容だけれど、「島を守るため」という言葉には、単なる観光地とは違う重みがあった。
出港して15分ほど経つと、長崎の街並みがみるみる小さくなっていく。潮風が頬を撫でる感触は心地よくて、デッキに出ている人たちはみんな無言で海を見つめていた。こういう時間、好きだな、と思った。何も考えずに、ただ景色が変わっていくのを眺める時間。
そして、見えた。
水平線に浮かぶ、あの独特のシルエット。写真で何度も見た形なのに、実物の存在感は全く別物だった。コンクリートの塊が海に浮かんでいる、という表現が一番しっくりくる。近づくにつれ、その「異物感」がどんどん増していく。自然の中に人工物がポツンと取り残されている違和感。でも、その違和感がたまらなく美しいとも思った。
上陸して最初に感じたこと
桟橋に降り立った瞬間、膝がほんの少し震えた。緊張していたんだと、その時になって気づいた。
足元のコンクリートは波に削られてゴツゴツしている。ガイドさんに導かれて進む見学路は思ったより狭くて、30人のグループがぎゅっと固まって歩く形になった。最初のビューポイントに到着すると、目の前に広がったのは、崩れかけた鉄筋コンクリートの集合住宅群だった。
テレビで見た時は、もっとドラマチックな廃墟を想像していた。ゲームの背景みたいな、どこか非現実的な美しさを期待していたのかもしれない。でも、目の前にあるのは、ただただ「朽ちている」建物だった。壁は剥がれ、鉄筋が露出し、窓枠はあっても窓ガラスはほとんど残っていない。
それなのに、なぜだろう。涙が出そうになった。
廃墟という言葉で片付けられない何かが、確かにそこにあった。ここに人が住んでいたという事実。洗濯物を干し、子どもの声が響き、夕飯の匂いが漂っていた日々。その痕跡が、風化しながらもまだ残っている。
ガイドの言葉が景色を変えた
ガイドさんの説明が始まった。この島には最盛期5,300人が暮らしていたこと。東京の9倍の人口密度だったこと。海底炭鉱で働く人々とその家族が、この小さな島でコミュニティを作り上げていたこと。
「あの建物の1階には理髪店がありました。その隣は雑貨屋、上の階には小さな映画館もあったんですよ」
指差す先を見ると、確かに他の建物より少し構造が違う部分がある。でも言われなければ、ただの崩れたコンクリートにしか見えない。ガイドさんの言葉が、景色に色を塗っていく。
「あそこの学校には、屋上にプールがありました。小さいプールでしたけど、子どもたちは大喜びで泳いでいたそうです」
目を凝らすと、確かに屋上部分に四角い窪みのようなものが見える。真夏の日差しの中、水しぶきを上げて遊ぶ子どもたちの姿が、一瞬だけ見えた気がした。もちろん幻だけれど、その幻がやけにリアルに感じられた。
隣にいた70代くらいの男性が、「俺も炭鉱の町で育ったんだよ」と小さく呟いた。その横顔は、どこか遠くを見ていた。その人にとって、この島は単なる観光スポットじゃないんだろう。失われた時代の象徴なんだろう。
想像していたものとの落差
正直に書くと、もっと「インスタ映え」する場所だと思っていた。劇的な廃墟美、絵になる構図、誰かに自慢したくなる写真。そういうものを期待していた部分があった。
でも実際は違った。
立入禁止のロープで区切られた見学エリアから、崩れかけた建物を眺める。確かに圧倒的な景観ではあるけれど、それは「美しい」というより「重い」ものだった。シャッターを切る手が、何度も止まった。これを安易にSNSに上げていいんだろうか、という躊躇いがあった。
写真を撮ることに夢中な人もいたし、それが悪いとは思わない。でも私は、カメラを構えながら、ファインダー越しに見る景色と、肉眼で見る景色の違いに戸惑っていた。写真にすると、どうしても「絵」になってしまう。そこにあった生活の重みが、抜け落ちてしまう気がした。
ガイドさんが見学者に古い写真を見せてくれた。1960年代の軍艦島。活気に満ちた商店街、学校の運動会、祭りの様子。そこには確かに、普通の暮らしがあった。その写真と、目の前の廃墟を交互に見比べると、時間の残酷さみたいなものがズシンと胸に来た。
第三見学広場で立ち尅んだ
見学路の最後、第三見学広場に到着した時、急に視界が開けた。ここからは島の全景が見渡せる。高層アパート群、学校、病院の跡。そしてその向こうに広がる、どこまでも青い海。
「この景色を見て育った子どもたちは、大人になってどう思うんでしょうね」
若い女性ガイドさんが、質問するようにそう言った。答えはない問いだったけれど、その言葉がずっと頭に残った。
島を出て、本土で暮らすようになった元島民の子どもたち。ある日突然、故郷が廃墟になった。帰る場所が、物理的には存在するけれど、もう決して「帰れない」場所になった。それはどんな感覚なんだろう。
風が強くなってきた。海の色が少し暗くなる。滞在時間は決まっているから、そろそろ船に戻る時間だった。振り返って、もう一度島の建物を見た。さっきまでただの廃墟にしか見えなかった景色が、今は違って見えた。ここには確かに、人生があった。
帰りの船で考えたこと
船が島を離れていく。デッキに残って、小さくなっていく軍艦島をずっと見ていた。
隣に立っていた大学生くらいの男の子が、「思ってたのと違ったな」と友達に話しかけていた。「もっとゾクゾクする感じかと思った」と。その言葉に、自分の気持ちが重なった。そう、想像と違った。でもそれは、期待外れという意味じゃない。
想像していたのは、消費できるエンターテイメントとしての廃墟だった。非日常を楽しんで、写真を撮って、「行ってきた」という体験を手に入れる。そういう軽さを期待していた。
でも実際に得たのは、もっと複雑で、消化しきれない感情だった。繁栄と衰退、人間の営みの儚さ、時間の流れの無慈悲さ。そういうものが全部混ざり合って、胸の奥でモヤモヤしている。
船内に戻ると、ガイドさんが最後の説明をしていた。
「軍艦島は、日本の近代化の象徴です。でも同時に、その代償も示しています。海底炭鉱での過酷な労働、事故、そして産業構造の変化による閉山。光と影、両方がこの島にはあります」
その言葉が、今日見たものを言語化してくれた気がした。
長崎港に戻って
港に着いて、乗船券売り場の前を通り過ぎる時、これから出発する次の便を待つ人たちがいた。地図を広げている家族連れ、カメラの設定を確認している人、ワクワクした表情でスマホを見ている若いカップル。
数時間前の自分を見ているようだった。あの人たちも、想像と違う何かに出会うんだろうか。それとも、期待通りの体験をするんだろうか。人それぞれなんだろうな、と思った。
近くのカフェに入って、アイスコーヒーを注文した。窓から見える長崎の街は、当たり前のように活気に満ちている。人が歩き、車が走り、店が営業している。この「当たり前」が、いつか軍艦島のように終わる日が来るかもしれない。そんなことを考えると、目の前のありふれた景色が、少しだけ違って見えた。
スマホに入っている写真を見返す。上手く撮れた写真もあれば、ピンボケしている写真もある。でも、どの写真も、あの場所の「重さ」は写っていない。写真には写らないものがあるんだと、改めて思った。
観光地としての複雑さ
翌日、長崎市内の資料館に立ち寄った。そこには軍艦島のより詳しい歴史が展示されていた。炭鉱の発展、高度経済成長、そして閉山。元島民のインタビュー映像もあった。
「島での生活は大変だったけど、濃密でしたね。あんなに人と人の距離が近い場所は、もうないでしょう」
画面の中のおじいさんは、懐かしそうに笑っていた。その笑顔が、昨日見た廃墟とどうしても結びつかない。同じ場所なのに、時間が全く違う意味を与えている。
資料館を出る時、ふと思った。軍艦島が観光地になることを、元島民はどう思っているんだろう。自分の故郷が「廃墟」として消費されることに、複雑な思いはないんだろうか。
答えは分からない。でも、少なくとも私は、この島を簡単に「良かった」「インスタ映えした」という言葉では語れない。それだけは確かだった。
変わった視点
軍艦島から戻って一週間が経った今、あの時感じた違和感の正体が少しずつ分かってきた気がする。
私が期待していたのは、過去を「見る」体験だった。でも実際に得たのは、過去を「感じる」体験だった。見ることと感じることは、全く違う。見ることは受動的だけど、感じることは能動的だ。自分の中にある何かと、目の前の景色が共鳴しないと、感じることはできない。
軍艦島の崩れかけた建物は、単なる古い構造物じゃなかった。そこには、確かに人の温度があった。風化して、朽ちて、形を失いつつあるけれど、人が生きた痕跡は完全には消えていない。その「消えかけているけれど消えていないもの」に、私は動揺したんだと思う。
それ以来、街を歩いていても、見え方が変わった。今賑わっている商店街も、100年後にはどうなっているか分からない。古びた建物も、かつては新築で、誰かの希望が詰まっていたはずだ。当たり前に存在している景色の背後に、時間の層があることを意識するようになった。
大げさかもしれないけれど、軍艦島は私に、「今」の見方を教えてくれた気がする。
まとめ
初めての軍艦島は、想像と違った。もっと軽く、もっと消費しやすい体験だと思っていた。でも実際は、簡単には消化できない重さがあった。その重さは、決して不快なものじゃない。むしろ、旅の本質ってこういうことかもしれないと思った。
期待通りじゃないからこそ、記憶に残る。自分の想定を超えるからこそ、考え続ける。軍艦島で感じたモヤモヤは、今でも胸の奥にある。でもそのモヤモヤが、日常の見え方を少しだけ変えてくれた。
もし行こうか迷っているなら、期待を手放して行ってみるといい。廃墟として、観光地として、世界遺産として、どんな見方でもいいけれど、そこにかつて確かにあった「普通の暮らし」を、ほんの少しでも想像してみてほしい。そうすれば、この島が見せてくれるものは、写真や映像で見るものとは全く違うはずだから。
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