この記事は、はじめてのひとり旅でも不安にならず、
島で静かに過ごしたい人に向けて、実体験をもとに書いています。
島を歩いていて、
気づけば猫のあとをついて歩いていました。
目的地は決めていないのに、
なぜか「間違っていない」と思えた時間です。
旅に出たのに、
「今日は何もしなくていい」と思えた瞬間がありました。
予定も、目的も、成果もいらない。
ただ、そこにいるだけでよかった時間です。
朝の瀬戸内に向かう船に揺られながら、ふと「どこかへ逃げたい」気持ちが胸に残っていた。
愛媛の小さな島・田代島は、観光地というより“猫たちと静かに呼吸を取り戻す場所”だった。
島の人たちの日常、猫との距離、時間の流れ方──全部がやさしくて、少し胸が温かくなる。
この記事では、私が田代島で出会った“猫と海と小さな奇跡”の一日を物語として綴ります。
揺られながら、少しずつ解けていく
船が動き出すと、港がゆっくり遠ざかっていく。
デッキに出て、手すりに寄りかかる。潮風が強くて、髪がばさばさになる。でも、気持ちいい。海の匂いって、なぜこんなに懐かしいんだろう。子どもの頃、家族で行った海水浴を思い出す。あの頃は、何も考えずに笑っていられたな。
船には、私以外に10人ほどの乗客がいた。カメラを抱えた若い女性二人組。リュックを背負った年配の男性。みんな、きっと猫に会いに行くんだろう。なんだか、同じ目的を持った旅人たちと一緒にいるって、悪くない。
波の音が、規則的に響く。ざぶん、ざぶん。
揺れに身を任せていると、肩の力が抜けていくのがわかる。東京で働いていると、いつも何かに追われているような気がしていた。メールの返信、締め切り、人間関係。でも、ここには何もない。ただ、海と空と、これから会う猫たちがいるだけ。
40分ほどで、島が見えてきた。
小さな港と、斜面に点在する家々。思っていたよりずっと、小さい島だった。
最初の出迎えは、三毛猫だった
桟橋に降り立つと、すぐに気づいた。
いる。猫が、いる。
港のすぐそばの石垣に、三毛猫が一匹、こちらをじっと見ていた。琥珀色の瞳。少し警戒しているような、でも興味津々といった様子で、私を観察している。
「こんにちは」
思わず声をかけてしまう。猫に話しかけるなんて、東京ではしなかったのに。三毛猫は、ゆっくりと瞬きをした。それだけで、なぜか「歓迎されている」気がした。
港から集落へ続く坂道を歩き始めると、次々に猫が現れた。塀の上、階段の途中、家の軒先。どこにでも、猫がいる。茶トラ、黒猫、白黒、キジトラ。みんな、のんびりと日向ぼっこをしていたり、毛繕いをしていたり。
足音を立てないように、そっと歩く。アスファルトの道に、時々猫の足跡がついている。この島では、猫が主役なんだ、と実感する。
一匹の黒猫が、私の前を横切った。立ち止まって、振り返る。まるで「こっちだよ」と言っているみたいだった。
案内されるまま、坂を登る
黒猫の後をついていくことにした。
理由なんてない。ただ、そうしたかったから。黒猫は時々立ち止まって、私がついてきているか確認するように振り返る。尻尾をピンと立てて、また歩き出す。
坂道は、思ったより急だった。息が切れる。運動不足を痛感する。でも、不思議と苦しくない。むしろ、体を動かすことが気持ちいい。
道の両脇には、古い木造の家が並んでいる。どの家も、丁寧に手入れされている様子が伝わってくる。玄関先には、猫用の水飲み場や餌皿が置かれていた。この島の人たちは、猫を大切にしているんだな。
ふと、一軒の家の窓から、おばあさんと目が合った。にこりと笑って、手を振ってくれる。私も慌てて手を振り返す。温かい気持ちになる。知らない土地で、知らない人に笑いかけられるって、こんなに嬉しいことだったんだ。
黒猫は、坂の途中にある小さな神社の前で止まった。
「猫神社」と書かれた古い木の看板。ああ、ここが有名な猫神社なんだ。
小さな社で、手を合わせる
階段を上がると、ひっそりとした空間が広がっていた。
小さな、本当に小さな社。でも、きちんと掃除されていて、お供え物も新しい。地元の人たちが、今も大切にしているんだろう。
猫神社は、漁師たちが海の安全と大漁を祈願して建てたものだと、フェリーで読んだパンフレットに書いてあった。昔、この島では猫を大切にすると漁が豊かになると信じられていたらしい。
手を合わせる。何を祈ろうか、一瞬迷う。
結局、「ありがとうございます」とだけ心の中で呟いた。何に対する感謝なのか、自分でもよくわからない。でも、今ここにいられること、猫に出会えたこと、この島に来られたこと。全部に、感謝したかった。
目を開けると、さっきの黒猫が社の前でお座りをしていた。まるで、私が祈り終わるのを待っていたみたいに。
「君も、神社の猫なの?」
黒猫は、また瞬きで答えた。
昼下がりの浜辺で、言葉を失う
黒猫に導かれるまま、さらに奥へ進んでいくと、視界が開けた。
浜辺だ。
小さな入り江に、透明な海。波は穏やかで、さざ波が砂浜を優しく撫でている。そして、そこにも猫がいた。砂浜で寝転んでいる猫、岩の上で海を眺めている猫、波打ち際で遊んでいる猫。
思わず、立ち尽くしてしまった。
こんな光景、見たことがなかった。猫と海と空。それだけで、完璧な絵になっている。写真を撮ろうと、バッグからスマホを取り出そうとして、やめた。
今は、ただ見ていたい。この瞬間を、目に焼き付けたい。
浜辺に腰を下ろす。砂の感触が、ズボン越しに伝わってくる。一匹の茶トラが、ゆっくりと近づいてきた。警戒する様子もなく、私の隣に座る。
「ここ、座ってもいい?」
茶トラは、喉を鳴らし始めた。ゴロゴロゴロ。その音が、波の音と重なる。
時間が、ゆっくり流れていく。
都会では、一分一秒を無駄にしないように生きていた。効率的に、生産的に。でも、ここでは時間の使い方が違う。何もしないことが、何かをすることより大切な気がした。
茶トラの頭を、そっと撫でる。温かい。命の温もり。当たり前のことなのに、最近忘れていた感覚だった。
小さな事件は、突然やってくる
どれくらいそうしていただろう。
突然、茶トラが立ち上がった。耳をピンと立てて、何かを警戒している。私も、その視線の先を見る。
岩場の向こうから、一匹の子猫が現れた。まだ小さい。生後数ヶ月くらいだろうか。白とグレーの毛並み。でも、様子がおかしい。左の前足を、少し引きずっている。
心臓が、ドクンと跳ねた。
子猫は、こちらに気づいて立ち止まった。怯えた目で、私を見ている。逃げようか、近づこうか迷っているみたいだった。
どうしよう。
助けるべきなのか。でも、どうやって。この島に、動物病院はあるんだろうか。そもそも、私が手を出していいんだろうか。野良猫に餌をやることさえ、賛否両論があるのに。
頭の中で、色々な考えがぐるぐる回る。
茶トラが、動いた。ゆっくりと子猫に近づいていく。子猫は警戒したけれど、逃げなかった。茶トラは、子猫の体を舐め始めた。まるで、「大丈夫だよ」と言っているみたいに。
そうか。この島の猫たちは、みんな家族なんだ。
私にできることは、きっと何もない。でも、見守ることはできる。
島の人に、教えてもらったこと
結局、私は島の人に助けを求めることにした。
浜辺から集落に戻り、最初に見かけた家を訪ねる。玄関先で洗濯物を干していたおばあさんに、子猫のことを伝えた。
「ああ、あの子ね」
おばあさんは、穏やかな声で言った。
「時々、足を引きずってるのよ。でも、ちゃんと餌も食べてるし、他の猫たちと仲良くやってる。この島の猫はね、みんな強いの。人間が心配するより、ずっと逞しく生きてるのよ」
その言葉に、私は何も言えなくなった。
「都会から来た人はね、よく心配してくれるの。ありがたいことだと思ってる。でもね、この島の猫たちは、自分たちで生きる術を知ってるの。私たちは、見守って、必要な時だけ手を貸す。それが、ちょうどいいのよ」
おばあさんは、優しく笑った。
「あなたも、あんまり心配しすぎないで。猫に教えてもらうといいわ。生きるって、もっとシンプルなものだって」
家に戻ろうとするおばあさんの背中を見送りながら、私は自分の傲慢さに気づいた。
助けたい、って思う気持ちは本当だった。でも、それは同時に「私がいないとダメだ」っていう思い上がりでもあったのかもしれない。子猫は、子猫なりに生きている。この島で、この猫たちのコミュニティの中で。
私は、ただの旅人に過ぎない。
夕暮れ時の港で、考えたこと
夕方になって、もう一度港に戻った。
帰りのフェリーまで、まだ時間がある。防波堤に座って、海を眺める。
空が、オレンジ色に染まり始めていた。雲が、刻一刻と色を変えていく。ピンク、紫、深い青。こんなに美しい夕焼けを見たのは、いつぶりだろう。
三毛猫が、また現れた。朝、最初に会った三毛猫だった。気がつくと、隣に座っている。
「君、覚えててくれたの?」
三毛猫は、相変わらず何も言わない。ただ、一緒に海を見ている。
この島に来て、私は何を得たんだろう。
猫に癒された、とは少し違う気がする。もっと、根本的な何か。生きることの基本みたいなものを、思い出させてもらった気がする。
都会で暮らしていると、色々なものを背負い込んでしまう。他人の期待、社会の常識、自分で作り上げた理想像。それらに押しつぶされそうになりながら、でも頑張らなきゃって思ってた。
でも、この島の猫たちは、そんなもの何も背負っていない。ただ、今を生きている。お腹が空いたら食べて、眠くなったら寝て、気持ちいい場所を見つけたら日向ぼっこをする。それだけ。
シンプルすぎるって、思うかもしれない。でも、そのシンプルさの中に、本当に大切なものが詰まっているんじゃないだろうか。
風が、また吹いた。今度は、朝より温かい風だった。
夜の島で、小さな光を見つける
フェリーの最終便まで、あと30分。
集落の中を、もう一度歩いてみることにした。夕暮れから夜へと変わる時間。空は深い藍色に染まり、家々の窓から明かりが漏れ始めている。
猫たちも、夜の顔を見せていた。昼間ののんびりした様子とは違う、少し鋭い目つき。狩りの時間なんだろうか。でも、それも猫の生き方なんだと思う。
ある家の前を通りかかった時、中から笑い声が聞こえてきた。家族の団欒だろうか。温かい光と、温かい声。この島では、人も猫も、それぞれの生活がある。
私は、東京に帰ったら何が待っているんだろう。
相変わらずの仕事、相変わらずの日常。でも、きっと少し違って見えるんじゃないだろうか。この島で感じたことを、忘れずにいられたら。
港に戻ると、黒猫がいた。朝、私を案内してくれた黒猫。
「ありがとう」
もう一度、声に出して言った。黒猫は、尻尾を一度、ゆっくりと振った。それが、「また来いよ」って言ってるように見えた。
フェリーが、汽笛を鳴らす。
乗船の時間だ。
離れながら、つながっていく
船が港を離れていく。
デッキに立って、島を見つめる。どんどん小さくなっていく島。猫たちの姿は、もう見えない。でも、確かにそこにいる。今も、それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしている。
私の中に、何かが残っている。
それは、写真でも、お土産でもない。もっと形のないもの。でも、確かに手に入れたもの。
「生きるって、もっとシンプルなものだって」
おばあさんの言葉が、また頭に浮かぶ。
そうだよな、と思う。私は、複雑に考えすぎていたのかもしれない。完璧じゃなくていい。効率的じゃなくていい。ただ、今を生きる。それだけでいいんだ。
海が、暗闇に溶けていく。船の明かりだけが、水面を照らしている。
スマホを取り出して、今日撮った写真を見返す。猫の写真、海の写真、空の写真。どれも、その瞬間の空気まで閉じ込められている気がした。
でも、一番大切なものは、写真には写っていない。
子猫の温もり、波の音、潮の匂い、おばあさんの笑顔、猫たちの瞬き。そして、自分の中に生まれた、小さな変化。
帰り道で、決めたこと
石巻港に着いた時には、すっかり夜だった。
駅までの道を歩きながら、私は考えていた。明日から、また仕事が始まる。いつもの生活が戻ってくる。でも、私は少し変わった。
完璧を目指すのをやめよう、と思った。
人の期待に応えることだけを考えるのをやめよう、と思った。
もっと、自分の気持ちに素直になろう、と思った。
簡単なことじゃないのは、わかってる。明日になったら、また忘れてしまうかもしれない。でも、その時は、また思い出せばいい。田代島の猫たちのことを。あの、穏やかな時間のことを。
駅のホームで電車を待ちながら、ふと空を見上げた。
星が、いくつか見えた。都会では見えない星。でも、確かにそこにある星。
猫たちも、今頃、この同じ星を見ているんだろうか。
なんて、そんなことを考えてしまう。猫は星なんて見ないかもしれないけれど。でも、同じ空の下にいる。それだけで、何だか心強い気がした。
電車が来た。
ドアが開いて、中に入る。座席に座って、窓に映る自分の顔を見る。少し、疲れてる。でも、悪い顔じゃない。
小さな奇跡は、続いていく
あれから、もう一週間が経った。
東京での生活は、予想通り、相変わらずだった。満員電車、締め切り、会議。でも、前とは少しだけ違う。
疲れた時、私は目を閉じて、あの島のことを思い出す。波の音、猫の鳴き声、潮の匂い。それだけで、少し楽になる。
「最近、落ち着いてるね」
同僚に言われた。そうかもしれない、と思った。焦らなくなった。完璧じゃなくてもいいって、思えるようになった。
猫が教えてくれたこと。
それは、「生きるって、もっとシンプルなものだ」ってこと。そして、「今、ここにいることが大切だ」ってこと。
田代島の猫たちは、きっと今日も、あの島で生きている。日向ぼっこをして、魚をもらって、時々喧嘩して、仲直りして。そうやって、毎日を過ごしている。
私も、私なりに、毎日を過ごしていく。
完璧じゃなくていい。ただ、今を生きる。それだけでいい。
次の休みには、また行こうかな、なんて考えている。田代島に。猫たちに会いに。そして、あの穏やかな時間の中で、また少し、自分を取り戻しに。
小さな奇跡は、きっとまた起こる。
猫が案内してくれる、小さな奇跡。それは、特別なことじゃない。ただ、忘れていた何かを思い出させてくれる、そんな優しい時間。
窓の外を見ると、夕焼けが見えた。
田代島で見た夕焼けとは違うけれど、同じ空。同じ太陽。
ああ、また行きたいな。
そう思いながら、私は今日も、この街で生きていく。
猫たちが教えてくれたことを、胸に抱きながら。
この旅で感じたこと
島を歩いていると、
時間が少しだけ、ゆっくり流れているように感じる瞬間があります。
生口島や男木島では、
観光地として「何かを見せよう」としてくる感じがあまりありません。
港の静けさ、路地の陰、軒先で眠る猫。
それらが特別な演出なしに、そこにあるだけでした。
猫たちも、人に近づきすぎず、離れすぎず、
ちょうどいい距離感で島の一部として存在しているように見えます。
その様子を眺めているうちに、
こちらの気持ちまで少しずつ緩んでいきました。
この旅で印象に残ったのは、
「何をしたか」よりも、
「何も急がなくてよかった」という感覚です。
島では、予定通りに進まないこともあります。
でも、その余白があるからこそ、
風の音や、足音、ふとした表情に気づける時間が生まれます。
忙しい日常から少し距離を取りたいとき、
こうした島の旅は、
自分のペースを思い出すきっかけになるのかもしれません。
まとめ
田代島は、観光地のように賑やかではないけれど、静かな時間が流れ、猫たちの息づかいがそのまま残っている場所でした。
子猫との小さな出来事や、おじいさんとの会話──何気ない瞬間が、不思議と心に残っている。
旅は答えをくれるわけじゃないけれど、田代島では“忘れていた感覚”をそっと思い出させてもらった気がします。
また季節を変えて訪れたくなる、そんな島でした。
📌 次に読みたい猫の島旅
👉 青島|猫と海の暮らしに出会う日
※本記事は、実際に現地を訪れた体験をもとに、
移動・過ごし方・感じたことを記録しています。


